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2011年12月26日月曜日

治験前


早々にB大学病院で診察を受ける。
私の場合、現在病院で行っているMDV3100(新薬)の治験に参加することが可能であり、エントリしてはどうかとのことであった。
患者側からすると、新薬を使用できるのことに異論はない。ただし、プラセボといって偽薬に当たる可能性も50%の確率であるので、完全に安全・安心ということではない。
ギャンブルではあるが、これに賭けてみようと思った。

早速、同意書を提出するが、すぐに治験を始められるものではない。
前回使っていた薬を止めてから、1カ月以上の期間をおかないといけないし、スクリーニングといった検査があり、その結果でふるいにかけられ、条件を満たさないと治験には参加できない。結構ハードルが高いのである。
 
条件面で行き違いもあったが、何とかクリアし、2012130日から治験を開始することが決まった。
ただ、この間は治療ができないので、PSAは上がりっぱなしで治験開始前には400近くに上昇してしまった。
当然体調も良くない。特に、骨痛がひどくボルタレンで痛みを抑えることぐらいしかできない。
しかし、治験に賭けてみようとするモチベーションは高く、何とか耐えたのであった。

自分でも不思議であるが、治験依存症、新薬至上主義に陥ったのかもしれない。


2011年11月20日日曜日

イベントに集う


最後の人生の過ごし方と銘打った割には、いままで病気のことばかりで自分の楽しみについては話してこなかった。

この日は、友人が企画したイベント、あまり詳しくは紹介しないが、ライブ、DJ、ダンスもあり、久しぶりに非常に楽しくお酒も呑んだ。

また普段なかなか会えない友人たちの顔も見えるし、ちょっとした元気ももらったのであった。

ただし、次の日はいけない。飲酒量に比べて、無茶苦茶に体調が悪い。病気なのだから、元気な時みたいにはいかないか・・・。つらいが、しょうがない。

でも、またこういう機会があれば、飲酒量をもっと減らしてみようと思う。
たとえ病気でも、こうした楽しいイベントなどには、できるだけ長い間参加したいものなのである。


2011年7月25日月曜日

宣告




病院へ生検の結果を訊きに行く。
結果から言うと、グリーソンスコア9の非常に悪性度の高い前立腺がんであった。
転移は今の時点では、はっきりはわからないという。
治療としては、ホルモン療法と放射線療法を併せて行うとのこと。
まずホルモン療法としてカソデックスの服用とリュープリンの注射を行い、ある程度前立腺が小さくなってから、放射線を外部照射で36回当てるという。

810日より、カソデックスの服用を開始する。
リュープリンは824日に一回目の注射を行った。

この治療の結果、PSAの値は922日時点で、1.60まで下がったのである。
放射線治療は「三次元原体照射法(3D-CRT)」という方法で、927日より開始し、1117日まで続いた。
月曜日から金曜日まで週5日、機械が故障した1日を除いてほぼ2カ月弱の間ずっと続いたのである。
放射線治療の終了時にPSAを検査すると、9.79と上昇している。医者が言うには、放射線治療のせいで上昇しているのではないかという。
しかし、その後PSAの値が下がることは二度となかった。
1215日には、PSAの値は50になっていた。
明らかに、再燃である。
医者は、これからの治療としてタキソテールによる化学療法を行うという。
またこのころには、背中の痛みが強くなったため、MRIにより検査を行うと、頸椎に骨転移が認められるという。これに対しては、放射線療法により対応するという。

不安なので、インターネットで情報を収集し、セカンドオピニオンを別の病院の医者に求めると、ゾメタという薬があり、これにより骨痛や骨転移を遅らせるという。
主治医は、こういった情報を一切説明してくれなかった。
考えてみると、再燃しても、化学療法を行う前に、他のホルモン療法の薬、たとえばオダインなどがあり、化学療法にしてもエストラサイトといった、軽めの薬もあり、タキソテールにすぐ移るといったことに疑問を持ったし、そういった別の治療の説明もなかったことに不信感を持ってしまった。
今後を考えても、選択肢の説明もなしに治療を進められるのは耐えられない。
そこで1215日にB大学大院宛に紹介状を書いてもらい、A県立病院を去ったのである。


2011年7月19日火曜日

生検について

719日、両親に家まで、タクシーで迎えに来てもらう。
病院へ到着後、入院時に必要なものを病院内の売店で購入し病室へ。
両親には心配をかけるが、前にも述べたように独り身であるため、やむを得ない。

看護師によると、午後から生検を行うという。
体調は悪くもなく手持無沙汰であるが、体を傷つけられることへの不安、痛みに対する恐怖が、頭の中を支配する。

ややこしいことを考えないため、ひたすらスマホで遊ぶことにした。
スマホの電池が残り少なくなったころ、看護師がきて、今から手術室へ行く旨を告げられる。

生まれて初めて手術室へ入る。
先ず、尾てい骨のあたりに麻酔注射を打たれる。
これが、半端でなしに痛い。
しばらくして、前立腺の組織をとるため、会陰部より10箇所ほど針を打ち込まれる。
これも、麻酔をしたとはいえ声が出るほど痛い。
手術室を出るときには、さすがにへとへとである。
ほうほうの体で、病室まで帰ってくるが、その晩は、痛みで朦朧としていてよく寝付けなかった。

日付が変わり720日になったが、まだまだ痛みは治まらない。
午前中は、病室で安静に過ごす。その日の午後から、ようやく痛みが治まってきた。
痛みが治まると、げんきんなもので一刻も早く病室を出たかった。

もともと一泊二日の入院予定であるということであったので、医者に了解をもらった後、看護師にお礼を言い、退院の準備にかかる。短期間であったため、荷物も少なくすぐに病室を引き払い、入院にかかった費用を精算する。確か、二万数千円であったと記憶している。

タクシーで家に帰ってくる。やはり、家は居心地がいい。
しかし、生検の結果が気になるし、またその結果を訊きに行かねばならない。

2011年7月11日月曜日

診察の日


研修も終わったので、地元のA県立病院の泌尿器科で診察の予約を取り、翌日712日に診察を受けることになった。
次の日、会社には有休をもらい、病院に出向く。
1時間ほど待ち、やっと自分の順番となった。
医者に状況を話すと、採血を行うという。
さっそく採血を行ったのであるが、PSAの検査には時間がかかる。
2時間後やっと結果が出て、32であることが分かった。
正常値が4以下であるため、かなり悪い数値である。

医者は、前立腺がんの可能性が高いため、来週入院して生検を行うという。
数は2日間程度であるという。

悪いとは思っていたが、かなりのショックである。
年老いた両親には気の毒であるとは思うが、なにぶん私は独り身である。
このような状況ではやむをえまい。さっそく母親に連絡を取り、状況を話す。
入院日当日に病院で会うことを約束する。
親しい友人には、入院後に病名が確定してから連絡しようと思う。

2011年7月7日木曜日

運命の日

その日は一泊二日で研修があり、K市での泊りであった。
一日目の研修が終わり、参加者で軽い飲み会を行ったのであったが、体調も良くないので、二次会にも行かずに、早々に宿泊先のホテルに戻ったのである。

ホテルのトイレで用を足して血の気が引いてしまった。
おしっこが真っ赤であった。
不安で、血の気が引き、その場にうずくまりそうになった。
病名が頭の中をよぎるが、所詮素人、的を得ない。

すぐにでも帰って病院で診察を受けたかったのであるが、 次の日も研修がある。
会社人間である、次の日の研修は終わらせ、家に帰ってからすぐに病院に行くことを決めたのであった。